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福岡高等裁判所 昭和46年(ネ)507号 判決

控訴人(原審被告) 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 山本卓一

被控訴人(原審原告) 乙野一郎

右輔佐人 乙野雪子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

(一)  先ず、被控訴人が控訴人の非嫡の子であるかどうかについて判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。

すなわち、控訴人は、明治四五年秋頃、訴外亡丙川花子と結婚式を挙げて夫婦となったが、種々の事情があって、婚姻の届出もしないまま、僅々数ヶ月位のうちに離別したこと、ところが、同訴外人は右離別後一旦実家に戻ったが、右結婚後一年を経過しない大正元年一〇月二二日に被控訴人を出産するに至ったため、同訴外人やその家族の側では、当然被控訴人は控訴人の子であると判断して、出産直後控訴人及びその父である訴外亡甲野十郎に被控訴人の引取、養育方を強く求め、控訴人及び右十郎においても、被控訴人が控訴人の子であることを認めて、これを一応手許に引取ったこと、しかし、控訴人及び右十郎は、被控訴人の入籍やその養育の手段に窮したところから、近隣に住む訴外亡乙野五郎、同ハナ夫婦に懇願して、被控訴人が同訴外人夫婦の間に生まれた嫡出の子(五男)であるとして出生の届出をなすとともに、暫時被控訴人を同訴外人夫婦に預け、その手許で養育して貰うこととしたこと、爾来、被控訴人は、同訴外人夫婦の手で育てられ、これに対して、控訴人及び右十郎は、その使用人を介して、時折り幾何かずつの米穀を同訴外人夫婦に届けて、養育の謝礼としていたこと、しかしながら、その後、控訴人が訴外甲野ツキと婚姻するに至ったためもあって、被控訴人は、その六才の頃、再び控訴人及び右十郎に引取られて、爾後は控訴人らの許で成育し、昭和一六年一〇月二五日頃現在の妻である訴外乙野雪子と結婚するまで(ただし、婚姻の届出は昭和一八年一月九日になされた。)控訴人らと生活をともにし、その間、幼時罹患した高熱疾患による聾唖者の身であるところから、福岡市所在の聾学校に入学してその寄宿舎に入り、また同校中退後一時大工職人や畳職人の従弟見習として住込むなどして、控訴人らと別居したこともあったが、学費の送金を受けたり、休暇のつど帰郷するなどして、終始家族としての親しみを持ちつづけてきたこと、そして、右雪子との結婚後は、控訴人や前記ツキ、さらには、その両者間に生まれた訴外甲野正らと右雪子との折合いが悪いところより、やがて別居するに至ったが、被控訴人は依然控訴人方に出入りし、一方、控訴人も、昭和二二年一二月頃には田八筆(その地積合計二、八〇五平方メートル)及び建物一棟(その床面積五九・五〇平方メートル)を、さらに、昭和三〇年前後頃には、田六畝九歩(六二四・七九平方メートル)を、それぞれ贈与するなどして、事実上の財産分けをしてきたこと、その後、被控訴人は、昭和四二年七月二六日佐賀家庭裁判所に戸籍訂正許可を求める審判の申立をして、昭和四三年三月二二日これが許可の審判をえ、その結果、前記虚偽の出生届に基づく戸籍事項が消除されるに至り、次いで、昭和四四年一月二三日には認知の、また、同年四月二八日には親族間紛争調整の、いずれも控訴人を相手方とする調停を同家庭裁判所に申立て、前者は取下げにより、また、後者は調停不成立として、それぞれ終結したが、後者についての家庭裁判所調査官の調査の際には、控訴人において、被控訴人が自己の子であることを認める趣旨の供述をしていること、以上の事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫

しかして、叙上一連の事実関係を基礎として考えると、被控訴人が控訴人と前記花子との間に出生した非嫡の子であることは、すでに明らかなところといわざるをえない。

(二)  ところで、控訴人は、被控訴人においては、控訴人より十分な金銭的利益を対価として受けたことによって、控訴人に対する認知請求権をすでに放棄している旨抗争している。

そこで、案ずるに、わが民法における認知の効果は、単に扶養義務の発生など限定された財産的効果を生ぜしめるにとどまらず、婚外父子間に一般的な父子関係を成立させて、該関係に伴う広汎な身分法上の法律関係を発生せしめるものにほかならないから、子の父に対する認知請求権は、その身分権的な特質と、非嫡出子に対する保護の観点(認知請求権を行使するか否かは、まさに非嫡出子の意思のみにかからしめるべく、他の約束などによってこれを左右する余地を残すのは、やはり子の保護を全うするゆえんではない。)よりして、これを放棄することはできないものと解するのが相当である。

そればかりでなく、仮りに認知請求権の放棄が許されるとしても、認知請求権の本質、ことに、それが必ずしも金銭的代償に親しむものではないことを考えると、父から相当の対価が与えられたからといって、直ちに、認知請求権の放棄を肯認することはできないものというべきところ、本件においては、控訴人が、被控訴人に対し、昭和一二年一二月頃に田八筆(その地積合計二、八〇五平方メートル)及び建物一棟(その床面積五九・五〇平方メートル)を、次いで、昭和三〇年前後頃に田六畝九歩(六二四・七九平方メートル)を、それぞれ贈与し、さらには、学費、生活費を支給するなどの金銭的利益を与えてきていることは、すでに認定したとおりであるけれども、他方、本件全立証を仔細に検討してみても、被控訴人が控訴人に対して認知請求権を放棄する旨の意向を明示したことを示唆するごとき証拠はまったく発見できないのみならず、かえって、≪証拠省略≫を合わせると、被控訴人は、前叙認定のごとき審判及び調停を申立てる以前においても、控訴人に対して認知をして貰いたい気持であることを洩らしたことが幾度かあったが、意思伝達に充全を欠く聾唖者の身であるためもあって、あえてこれに固執することをしなかったことが窺認されなくもないのであるから、被控訴人が控訴人より金銭的利益を付与されたとの一事をもって、控訴人に対する認知請求権を放棄したものと即断しえないことは、まことにみやすき道理である。

そうであれば、控訴人の前記主張は、ひっきょう、これを採用するに由なきものとしなければならない。

(三)  次に、控訴人は、被控訴人が本訴において認知請求権を行使するのは権利の乱用である旨主張しているので、この点について判断する。

前叙認定した諸事実に≪証拠省略≫を併せ徴すると、控訴人は、戸籍上は父としての立場にはなかったが、被控訴人に対し、自己が父であることを隠そうとせず、幼児期を除いては、被控訴人を手許において養育監護し、あるいは、学費、生活費を支弁するなど、終始父としての庇護を与え、被控訴人との間には相互に父子としての感情を抱き合ってきたのであって、本訴提起後の現在においてすら、被控訴人に対する情愛の念を失ってはいないこと、それにもかかわらず、控訴人において被控訴人を認知しようとしないのは、被控訴人の妻である前記雪子との折合いが悪く、被控訴人を認知して父子関係を確立すれば、同訴外人によってさらに財産分けなどの要求が持出されるであろうことを危惧し、しかも、それが子である被控訴人の利益をはかるためよりも、むしろ、同訴外人自身の欲心に基づくのではないかと懸念していることによるものであること、しかるに、他方、被控訴人が控訴人と別居するに至ったのは、控訴人やその家族と右雪子の折合いが悪かったことに基因するところが大きいが、同訴外人においては、その後控訴人と路傍で出会っても日常の挨拶を交わすことすらせず、時には雑言を浴びせかけたこともあるなど、いたずらに紛争を激化させる一因をなしているばかりでなく、かつては、夫である被控訴人と幼児であった一児を残して家出をしたこともあるなど、被控訴人との間柄も常時円満とまでは言い切れない状態であること、しかのみならず、被控訴人は、前記六畝九歩の田を、その贈与を受けた直後に異母弟である前記正に売渡したほか、最近に至って、前記八筆の田(その地積合計二、八〇五平方メートル)を金一九八万円位の代金額で他に売却したが、被控訴人が聾唖者の身であるだけに、かように財産を処分するについては右雪子の意向に基づくところが大きいものと受取られやすく、それがまた、控訴人の前記危惧の念慮をかきたてる原因ともなっていること、以上の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫そして、これに加えて、被控訴人が控訴人よりある程度の金銭的利益を受けていることは、さきに認定したとおりなのである。

そこで叙上認定の事実関係に立脚して考察を進めるに、元来認知請求権は何びとにおいてもこれを放棄することのできない性質のものであることにかんがみれば、被控訴人が過去に金銭的な利益を受けているからといって、それだけで認知請求権の行使が失当たるに帰するものでないことは、いうまでもないところであろう。そして、被控訴人が大正元年一〇月二二日生まれであることは、すでに認定したとおりであり、また、本訴の提起されたのは昭和四五年八月一四日であること、本件記録上明瞭であるから、結局、暦算してみると、被控訴人が本訴によって認知を請求するまでには、実に約六〇年もの年月を越しているわけであるけれども、しかしながら、認知の訴を提起するについては、父または母の死亡の日から三年を経過したときはこれを提起できなくなるだけで、それ以外に明文上何らの制限も存在しないのであって、すなわち、認知請求権は、これを長年月行使しなかったからといって、特段の事情のないかぎり、これが行使できなくなるものでないことは、その性質上当然の事理に属する。しかるところ、本件を親族関係調整の観点からみるかぎり、被控訴人側、とりわけ妻である前記雪子においても、控訴人側におけるそれと同様、紛争の惹起ないしその激化に一半の責任がないとはいえず、事柄を解決するためには、それなりに反省すべき点の存するであろうことは、前叙認定したところに徴してみても容易に看取されなくはないところであるが、しかし、これが右にいう特段の事情に該るほどのものとまで直ちに断ずることはできず、また、これに前叙認定した諸事情をかれこれ勘案してみても、なお、被控訴人の本件認知請求権の行使を目して権利の乱用であるとすることはできないもの、というべき筋合である。

しかして、その他、本件に顕われた全立証を精査してみても、被控訴人の本件認知請求権の行使が権利の乱用に該ることを首肯せしめるに足る事実の徴すべき証拠は存在しない。

そうすると、被控訴人の前記主張もまた、失当というほかはなく、これが排斥を免れない。

(四)  してみると、被控訴人の控訴人に対する本件認知請求は、その理由があるものというべく、これを認容した原判決は相当であって、本件控訴は所詮失当たるを免れない。

よって、本件控訴は、民事訴訟法第三八四条第一項に従い、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤秀 裁判官 松村利智 篠原曜彦)

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